ショーゲンの本名は?(ペンキ画家)年齢・出身・結婚などプロフィールまとめ

スピリチュアル

『じつはメイクが大得意!村長との約束を10年守り通りした画家』

ひすいこたろうさんとのコラボをきっかけに、

今Youtube界隈でバズりにバズっている

ペンキ画家のショーゲンさん。

ショーゲンさんはペンキ画家としてだけではなく、

アートを学びに渡った、アフリカタンザニアのブンジュ村に伝わる

縄文人から教えられたという生き方について

日本人に伝える為の、講演活動なども行っています。

今はいろんなYoutuberの方の動画にも呼ばれ、

すごい勢いで有名になっておりますね!

そんなショーゲンさんについて、

本名・生年月日・出身、画家になった経緯、

18歳のときに起きたまさかの大事故、

ペンキ画”ティンガティンガ”との出会いから、アフリカブンジュ村で生活するまで、

更に帰国後の活動などなど、プロフィールをまとめてご紹介します♪

ペンキ画家ショーゲンさんプロフィール 本名・生年月日・出身地は?

本名:上田 祥玄

生年月日:1986年(昭和61年)3月29日

出身地:京都府船井郡京丹波町

出身大学:龍谷大学

以前の職業:メナード化粧品のルート営業

家族構成:父・母・兄・弟の5人家族

結婚:おそらく未婚

”祥玄”という名前、めちゃくちゃかっこいい名前ですよね!

名前の感じからお寺の息子さんなのかな?

と思ったので調べてみのですが、

実家はお寺ではなかったです。

兄と弟がいる3人兄弟の真ん中で育ち、

お父さんは絵が大好きな学校の先生で、

お母さんは芸術系の短大を出ています。

お兄さんと弟さんは芸術大学に行っていたそうです。

芸術一家に育ったからこんなに絵が上手なのですね。

結婚しているかどうかも気になるところですが、

おそらく独身のようです。

ペンキ画家ショーゲンさん 画家になる前は何をしていたの?

大学卒業後は大手化粧品メーカーのメナード化粧品に入社し、

6年2ヶ月営業マンとして名古屋で働いていました。

化粧品の紹介をするにあたって、

毎日メイクをしていたので、

お化粧がめちゃくちゃ得意だそうです。

顔を見ただけで、

何系の色の何番のチークが似合う

とかがわかるそうです。

そんな才能もあるなんてすごいですね。

ショーゲンさんのメイク講座も

ぜひ見てみたいですね。

ショーゲンさんのメイク講座

はい、ということで、

ショーゲンさんが櫻庭さんとの対談動画でお話しされていた

男性にモテる為のメイク術をご紹介します。

男にモテるチークの入れ方講座

男性が女性にいいなーと好感を持つ時って

女性に隙を感じた時なんだそうで、

隙を見せると男性は「この女いいな〜♡」

となるそうなんです。

男性の方々、そうなんですか??

確かに酔っ払った時って、狙われやすいのは確かですね。

女性は酔っ払うと隙ができるので、

酔っ払った時の状態を演出するために、

目の横にほんのりチークを入れるといいらしいです。

女性の方々、デートの時や、

気になる男性に振り向いて欲しい時は

ぜひお使いください。

ショーゲンさんは人当たりがとっても良いので、

営業成績も良かったかなと思いましたが、

すごい問題児だったとご自身で語っていました。

ペンキ画家ショーゲンさんプロフィール ペンキ画家になるきっかけは?

28歳のある日、実家に帰省途中、

ふと立ち寄った京都市内にあるに雑貨屋さんの白い壁に

”夕焼け背景に楽しそうに動物たちが遊んでいる”

という1枚のペンキアートが飾られてありました。

ペンキの色鮮やかな発色が目に飛び込んできた瞬間、

『これで生きていくんだろ?!!』と言われた気がして、

『これで生きていくんだ!』『よし!これで生きていこう』

と脳天に衝撃を受けたそうで、

その絵はアフリカ・タンザニアの”ティンガティンガ”という

アートだとお店の方に聞いて、

その日の夕方に1ヶ月後のタンザニア行きのチケットを取り、

次の日に会社に退職届を出したそうです。

ショーゲンさんの行動力がすごいですね!

ペンキ画家ショーゲンさんプロフィール 18歳の時にあった事故

じつはショーゲンさん、18歳の時に大事故にあっていたのを知っていますか?

高校の卒業式の後、友達数人でボーリングに行った帰りの車で、

まっすぐな道を走っていたら、

居眠り運転の対向車が突っ込んできて、

運転席の後部座席に座っていたショーゲンさんは、

運転席のヘッド部分に頭を強く打ち付け、

額を割る大怪我をします。

幸い事故現場が病院の前だったというのもあり、

一命を取り留めたそうですが、

本当は死んでいたと言われたそうです。

その衝撃でそれ以前の記憶もほとんどなくなり、

性格や考え方も全く変わってしまったそうです。

自分なのかどうかさえわからなかったとおっしゃっていました。

そこからは自分のようで自分ではない感覚なんだそうです。

事故にあう前までは、

『当たり障りのない人生を』

というテーマで生きてきたというショーゲンさんですが、

事故後は『なぜ自分は生かされたんだろう』と考えながら生きてきたと。

とっても大変な大事故を乗り越えたんですね。

”なぜ自分は生かされたんだろう”と考えながら生きてきたそうですが、

今のショーゲンさんの活動を見ると、

『ブンジュ村で教えられてた生き方を日本人に広め、

日本人に本来の生き方を思い出させる』

という使命があり生かされたんだなということがはっきりわかりますよね。

ペンキ画家ショーゲンさんプロフィール アフリカ・ブンジュ村との出会い

退職届を提出してから1ヶ月後、所持金10万円、

語学力やコネクションすらない中、

単身アフリカに渡ったショーゲンさん。

タンザニアにはティンガティンガ村という、

トタン屋根の下で40〜50人の画家さんが

ティンガティンガアートの絵を描いている工房があり、

最初はそこに行きました。

そこで一番初めに声をかけてくれたのが、

ショーゲンさんの師匠となる”ノエル・カンベリ”さんという

40歳くらいの男性で、

「ここで絵を描くことを習うことはできるけれども、

ヨーロッパの方が絵を買い付けに来る場所でもあるから

受講料がめちゃくちゃ高い。

もしよかったら俺が住んでいるブンジュという村があるから

一緒に住みながら絵を描かないか」

と声をかけてくれたのがきっかけで、

その後1年4ヶ月間ブンジュ村に住むことになります。

ここでもまた運命の出会いを果たすのですね。

ペンキ画家ショーゲンさんプロフィール そもそもペンキで描く”ティンガティンガ” って何?

ショーゲンさんが脳天に衝撃を受けた、

ティンガティンガというアートはどんな絵なんでしょうか。

1960年代にエドワード・ティンガティンガさんという人が

『手に職を持って、親戚同士でアートで生きていけたら』

ということで生み出したアートを”ティンガティンガ”と呼ぶそうです。

なので、ティンガティンガアーティストと名乗れるのは

ティンガティンガさんの親戚だけなんだとか。

だからショーゲンさんは

「ティンガティンガアーティスト」とは名乗らず、

「ペンキ画家」と名乗っているのですね。

このアートは主に動物や植物などの自然が描かれ、

  • 下書きをしてはいけない
  • 必ず6色以内で描く

というルールがあります。

下書きをしてしまうと絵に勢いが乗らなくなるので、自分を信じて描くこと。

人間が直感で選択できる最大の数が”6”。6色を超えると人には迷いが生じる。

という理由だそうです。

直感に従って、自分の心の中心に向き合い描く

というのがこのアートだそうです。

とっても素敵ですよね。

ショーゲンさんが絵を見た瞬間、衝撃を受けたと語っていましたが、

人の心の深いところに響くアートなんだと思いました。

ペンキ画家ショーゲンさんプロフィール ブンジュ村の村長の不思議な話

初めに訪れたティンガティンガ村で、

ブンジュ村に住むカンベリさんに、

一緒に絵を描きながら暮らさないかと

声をかけられたショーゲンさん。

カンベリさんと一緒にティンガティンガ村から

バスで3時間のブンジュ村に向かいました。

ブンジュ村ってどんな村?子育てや教育について気になる!については

以下の記事でご紹介しています!

ブンジュ村 幸せの3ヶ条とたった一つのルール

まずは村長に挨拶に行ってと言われ、挨拶に行きました。

70歳くらいの細身で身長の高い見た目の村長に、

この村に入るためには”幸せの3か条”というものがあるから、

それを理解できるんだったら入って良いよと言われたそうです。

幸せの3ヶ条

1、ご飯が食べれていることに幸せを感じれているかどうか

2、「ただいま」と言ったら「おかえり」と言ってくれる人がいる

家族じゃなくても血が繋がってなくてもいい

3、抱きしめられたら温かいと感じる心がある

この3つがあなたの中にあるのであれば村においで。

それと1つだけ約束を守って欲しい。それは、

友達と喧嘩になったり、村人といざこざになったら必ずその日のうちに解決すること

これを守れるのであれば村に入ってもいいよ。

なぜなら言い合いしている大人を子供は見たくないだろう。

引用元:今日誰のために生きる?

このように言われて村に入ったそうです。

ブンジュ村 村長のおじいちゃん(シャーマン)の不思議な話

実は、ブンジュ村には初めて入った日本人も外国人も

ショーゲンさんが初めてだったそうなのですが、

この村は日本人の文化や価値観が色濃く反映されている村なんだよと伝えられたそう。

村長のおじいちゃんは120〜130年前に生きていた、

村で御祈祷やご神事をするシャーマンで、

そのシャーマンだったおじいちゃんが、

よく夢の中で日本人と繋がっていて、

「自然と共存する生き方」や「みんなで幸せに生きていく生き方」など

生きていく上での大切な全てのことを教わったと言っていたそうです。

その日本人はどんな人だったかと聞いたら、

穴を掘った竪穴式住居で暮らしていて、

穴の中に入ってしゃがむとアリンコや大地と同じ目線になり、

女性をモチーフにした土器をたくさん作っていた。

1万年から1万5千年続く、

愛と平和に溢れてた生活をしていて、

亡くなった人に刺し傷や切り傷が全くない、

そんな時代の人たちから教えてもらったんだよ。

引用元:今日誰のために生きる?

そのように教えられたそうです。

縄文という言葉は言ってなかったそうですが、

時代背景からおそらく縄文時代の日本人と

繋がっていたんじゃないかなとおっしゃっていました。

夢の中で日本人と繋がっていたなんてちょっと信じ難い話ですよね。

でもショーゲンさんが伝えてくれている話を聞くと信憑性が増すので不思議です。

ペンキ画家ショーゲンさんプロフィール 帰国後の活動は?

帰国後はペンキ画家として、壁画の依頼や個展を開いたりなど

画家として活動しているのはもちろんですが、

ブンジュ村での教えを伝えるために、

学校や各地イベントでの講演活動などもされています。

日本に帰ったらブンジュ村での教えを1人でも多くの人に伝えること、

毎月必ず何人に伝えたか報告することと

という村長との約束のもと

帰国後は、会う人会う人にブンジュ村での教えを

地道にひたすら伝え続けていたと言います。

最初の頃は、「アフリカの話で日本人には関係ない話でしょ」

と聞き入れてもらえなかったり、

時には漫画喫茶で隣の席の人にドアをノックして、

「すいませんお話いいですか」と行って迷惑がられたり、

「そんな話はしない方がいいよ」と否定されたり、

講演会を開いても2、3人しか集まらなかったりと

今まで9年間日の目を浴びることなく、

1人1人に伝えていたと言っていました。

こんな地道なことをずーっと続けるなんて

なかなか出来ることではないです。

そしてある温泉で、湯船に浸かりながらいつものように目の前の人に

ブンジュ村の教えを伝えた、

その人が大人気作家のひすいこたろうさんだったということです。

そこからショーゲンさんとブンジュ村のお話が一気に有名になりました。

寝癖が気になると視聴者からコメント多数寄せられる。

ショーゲンさんの動画を見ていただくとわかるのですが、

髪の毛が、ぴよーんと跳ねていたりして、

「寝癖のまま動画撮ってんのかい?髪の毛直しなさいよー」

と視聴者の方から、ご指摘が多数ありました。

ショーゲンさんは癖っ毛で髪の毛が跳ねてしまうそうで、

あまりのご指摘の多さに最近ストレートパーマをかけたそうです。

今後は髪の毛ぼさぼさのショーゲンさんではないので、

ご安心ください。

ペンキ画家ショーゲンさんプロフィール まとめ

今回はひすいこたろうさんとのコラボ本出版で話題になった

ペンキ画家ショーゲンさんについてのプロフィールをご紹介しました。

18歳に死んでもおかしくなかった大事故を経験していたり、

営業マンだったのにある日であったアートに

衝撃をうけて画家になるなんてすごい人生ですよね。

ショーゲンさんの地道な活動がなければ、

今私たちがこんなにも素敵な話に出会うことがなかったわけですから、

伝え続けてくれたショーゲンさんには感謝ですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

Yuka

当サイト運営者のユカと申します。
病気を患ったことをきっかけに、今までの人生をもう一度見直してみようと潜在意識やスピリチュアルを実践し人生が好転していきました。

当ブログはそんな私の経験から、潜在意識の活用方法や、開運方法スピリチュアルについて発信しています。

Yukaをフォローする
スピリチュアル
Yukaをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました